脳の性分化

Sexual differentiation in the brain

by Minoru IKEDA    

 脳はとらえにくい形で器官形成が行われ,また,それが機能化するまでに時間的空白があるため,今までは気づかれにくかったのですが,最近では,胎児期に脳が形態的,機能的に性分化を進め,脳に性差が生じることが明らかになりました。しかし,詳しいことはまだまだ不明な部分が多く,いろいろな機関で研究が続けられています。このページでは,脳の性分化について明らかになっていることのいくつかをご紹介します。

 なお,脳の性の指標としては,脳の周期性を表している排卵とLordosis*を雌性,Mounting**を雄性と考えて,動物実験の結果から,ヒトの脳の性分化を推測したものです。

*Lordosis:雌が雄を受け入れる姿勢 

**Mounting:雄が雌の背後から乗りかかる行動

 1. 脳の性分化と臨界期

 実験1 成熟した雌ラットの卵巣を摘出後,別の位置にこの卵巣を移植しても排卵がおきる

 実験2 成熟した雄ラットの精巣を摘出し,卵巣を移植しても排卵はおこらない

 実験3 出生直後の雄ラットの精巣を摘出し卵巣を移植すると,成熟後排卵がおきる

 実験4 出生直後の雌ラットに精巣を移植すると,元々もっていた卵巣は成熟後も排卵をおこさない

 排卵があるということは,脳が周期性をもっているということで,これは性腺の違いによるものではなく,どうも出生直後の精巣の有無に関係がありそうです。おそらく精巣から分泌される男性ホルモンが脳に働いて,脳の周期性を不活化させているようです。また,この男性ホルモンの働きもある時期を過ぎると効果がなくなってしまいます。このようにある時期を境目として,脳が非可逆的変化を起こし,周期性を獲得するかどうかが決定されますが,この時期を脳の性分化の臨界期といいます。実験に使われたラットの臨界期は出生後にあり,ヒトでは受精後12〜16週頃と考えられています。

 2. 脳の性分化と性ホルモン 

 実験5 出生直後の雌ラットに男性ホルモン(testosterone)を投与すると脳の周期性が消失し,成熟後排卵が起こらず,Mountingを示すようになる

 実験6 出生直後の雌ラットに女性ホルモン(estrogen)を大量に投与すると脳の周期性が消失し,成熟後排卵が起こらず,Mountingを示すようになる

 実験7 出生直後の雄ラットにaromatase抑制剤(testosteroneがestrogenに変化するのを抑制する)を投与すると成熟後Lordosisを示し,Mountingをしない

 testosteroneが働いて脳が雄性化することは予想できますが,大量のestrogenでも同じ様な変化を起こすことはビックリですね。これは,実験7の結果からtestosteroneが直接脳に働くのではなく,脳内で変化してestrogenとなり,この形で働いて脳に変化を起こすのだろうと考えられています。

 3. 脳の性分化の防御

 それではなぜ雌の脳は変化を受けないのでしょうか。また,母体血中のestrogenは雌の胎児に影響しないのでしょうか。

 1脳の性分化の臨界期にのみestrogenと特異的に結合する蛋白質が血液中に作られます。そしてこの蛋白質と結合したestrogenは脳内へ入ることができなくなります。もし,この蛋白質よりもっと多いestrogenがあれば脳内へ入ることができます。

 2脳内のaromatase活性(testosteroneがestrogen に変化する速度)はtestosteroneによって上昇し,臨界期を過ぎると低下します。

 このように脳の性分化の臨界期に脳はestrogenから保護されています。

 以上のことから,脳の性分化の方向性は臨界期にteststeroneシャワーを浴びるかどうかで決まるようです。そして,多くの脊椎動物にもこのことが当てはまるので,おそらくヒトでも同様だろうと考えられています。

 4. 脳の形態的性差

 1980年Gorskiは,脳内の内側視索前野という部分の神経核に性差があることを示し,さらに,この体積の大小に性ホルモンが関与していることを証明して,この部分は性的二型核(sexually dimorphic nucleus, SDN)と呼ばれるようになりました。

その後脳のいくつかの部分の体積に性差が見つかっています。例えばカナリア(雄はさえずり,雌はさえずらない)のさえずり中枢の神経核の大きさには性差があり,雌のヒナにtestosteroneを投与するとさえずり中枢が雄性化することが分かっています。また,ヒトでは,同性愛者であるLeVayが最愛の相手をエイズで失い,同性愛も異性愛と同様,人間の本性であるという信念から,エイズで死亡した人たちの性的二型核を調べ,同性愛者のそれは異性愛男性の半分で,異性愛女性と同じ大きさであったと報告しています。

 5. 脳のシナプス結合様式の性差

 脳の神経細胞はシナプス結合によって複雑なネットワークを形成しています。このシナプス結合には,幹シナプス,極シナプス,細胞体シナプスと呼ばれる3種類の結合様式があり,この割合が,性ホルモンの作用で変化することが分かってきました。

 新生時のラットにestrogenを注射すると,シナプスの数が増え,特に幹シナプスに特異的に変化が現れます。幹シナプスが増えると,極シナプスが割合として減少し,神経回路の構成が違ったものになります。神経回路が異なれば,ある刺激に対する伝わり方に差が出るようになり,最終的な反応に違いが出てくることが予想されます。そこから,男の考え方,女の考え方といった違いも出てくるのかもしれません。

 新生時,脳がestrogenの影響を受けない雌ラットには,あらかじめプログラムされていた雌型の神経回路が形成されますが,そこにestrogenの影響を受けると,性質の異なった回路が形成されます。ヒトの脳でも外性器や内性器の性と異なったタイプの神経回路が形成される可能性があるわけです。

 6. 脳の機能的性差

 雌ラットの脳内にある背側海馬という部位を電気刺激すると,背側海馬は下垂体に抑制的に働きかけ,下垂体から放出される卵胞刺激ホルモンの分泌量が減少します。ところが新生期雌ラットにアンドロゲン(男性ホルモン)処置をして,雄性化すると,同じように背側海馬を電気刺激しても,下垂体を抑制せず,かえって促進的に働いて,卵胞刺激ホルモンの分泌量が増加します。このように脳の性分化の臨界期にホルモンの作用を受けるか受けないかで,脳の働きが違ってくることも分かってきました。

 閾値とは,反応する最小の刺激のことです。例えば,皮膚に針を当てるとき,5の力ではじめて痛いと感じれば,閾値は5ということになります。別の人が10の力で当てたとき痛いと感じるなら閾値が高いことになります。また,1の力で当てても痛いと感じるなら,閾値が低い,敏感であるということができます。

 左のグラフは刺激に対する脳の興奮レベルの変動を表しています。実験の結果,男性ホルモンや女性ホルモンが作用すると脳の閾値が低くなることも分かってきました。つまり,小さな刺激にも反応するということです。男性では,ホルモンはほぼ一定に保たれていますが,女性では,およそ28日周期で変動しています。28日間のなかで,ホルモンの変動に合わせ閾値が高くなったり低くなったりします。このようなことから「女性はコックさんにむかない」と言われる理由を考えてみると,同じ塩加減でも,閾値が低いときは塩辛いと感じるし,閾値が高いときは塩が足りないと感じてしまい,味覚が一定しないからかもしれません。

Gender clinic性の分化性同一性障害ホルモン療法